「病院坂の首縊りの家」横溝正史原作・市川崑監督 Pt.1
「あんな男と分かっていながら、でも、好きやった」
・・・横溝正史の描く悪い男は、どう考えても、悪すぎる
◆長編ブログPt.1【初回】/全3回
「病院坂の首縊りの家」というおどろおどろしい題名の映画は、この台詞で終わります。(本当はその後エピローグがありますが・・・)
病院坂と呼ばれる長い坂道に、法眼家の旧お屋敷があり、この連続殺人事件の犯人は、車夫の三之介 – 小林昭二の引く人力車の中で、この最後の台詞を呟きます。
南部風鈴が犯人の手からするりと落ちて、チリリンと、澄んだ音色を奏でます。
三之介は犯人の前に跪いて、三度笠を脱ぎ、胸に当てて、男泣きの吐息を漏らします。
病院坂の途中には、それを見つめる金田一耕助 – 石坂浩二がたたずんでおり、物語りの破滅的な結末を見届けると、ふいに、きびすを返し、坂の向こうに消えていきます。
なんと美しいエンディングでしょう。この映画は、角川映画の「犬神家の一族」に始まった、昭和50年代の金田一耕助/市川崑監督シリーズの最後の映画です。
原作と映画は話が全く違いますが、横溝正史の作品の中でも、金田一耕助の最後の事件ということになっています。市川崑がこの作品を選んだのは、大ヒットした一連の金田一ものの制作に別れを告げるためでしょう。
それを踏まえてみると、また感動もひとしおだったりします。
市川崑はその後、再び金田一ものを撮りました。(1996年「八つ墓村」2006年「犬神家の一族」)しかし、残念ながらこれらの作品は、昭和50年代の一連の金田一ものほどの美しさがありません。
一連の金田一ものとは年代順に
「犬神家の一族 角川映画」(昭和51年1976年)、
「悪魔の手毬歌 東宝」(昭和52年1977年)、
「獄門島 東宝」(昭和52年1977年)、
「女王蜂 東宝」(昭和53年1978年)、そして本作
「病院坂の首縊りの家 東宝」(昭和54年1979年)です。
これらすべて、とにかく美しい。そのうち、これらすべての映画のことを書いていこうと思っています。
「病院坂の首縊りの家」の公開時(昭和54年)は、Sozoは高校2年生でした。サザンの「いとしのエリー」はこの年です。
当時も今も、大好きな映画で、その後、何もかもすべて覚えるほど見ています。何百回です。たぶん、台詞も一緒に言えるほどです。ミステリーなので、ネタバレにならないように書くのは難しいですから、今から映画を観ようと思っている方は、ご注意くださいね。
Sozoは本当にいい映画とは、すべてを語らない映画だと思います。今の映画は、すべてを語ります。たった一つのことを、台詞やエピソードでこれでもかと語られるので、とても忙しい思いがして、夢を見る暇がありません。ある意味、観客の想像力を見下している気がしてきます。そういう人は、自分に想像力がないのだと思います。
これを書く前に、一応、同様な記事がないかどうか、タイトルをggってみましたら、ネタバレが多かった。で、またここで、30年以上も前の映画のストーリーを書いても仕方ないので、Sozoは、映画のストーリーの中の、この殺人事件の根幹に存在する、ある2人の男の話をします。
全部、男が悪いんです。本当に。
「あんな男とわかっていながら・・・でも、好きやった・・・」とは、実は「悪魔の手毬歌」の岸恵子の台詞です。考えたら陳腐な台詞ですが、さすが大女優が言うと、心を揺さぶられるものがあります。
そう、横溝正史の書く悪い男は、とことん悪いんです。んな男が一体世の中のどこにいる?ってほどに。ところが映画の中では、それら「ザ・悪い男」は、著名な役者を使っておらず、出番も少なく、さっぱり人物像が分からない演出になっています。それがさっき言った、観客の想像力に任せているところなのです。
何故でしょう。周りを不幸にする悪い男。それは、もしかしたら、どこにでもいる普通の男だからかもしれません。次回と最終回の3回で、この二人の男の話をしていこうと思っています。
※画像はすべて、「病院坂の首縊りの家 ©1979東宝株式会社」よりの一場面です。
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