3/3「病院坂の首縊りの家」横溝正史原作・市川崑監督 Pt.3

「病院坂の首縊りの家」横溝正史原作・市川崑監督Pt.3

雄同士の群れの中で、弱い男は、強い男への抗いがたい憧憬がある

◆長編ブログPt.3【最終回】/全3回

さて、五十嵐猛蔵と法眼拓也。この二人の男は、全く違うタイプの男です。猛蔵は女も金も地位も、欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる、捕食者です。この男の根底にあるものは、セックスの支配欲です。自分の肉体にもよほど自信があったのでしょう。巨根の持ち主だったかも知れません。

一方、拓也は、愛人の子で、コンプレックスの塊です。法眼家の血を引いているので、どこか貴族的なところはあるのですが、法眼家にいるよりも、貧乏なシングルマザーの、薄幸な冬子の住む「風鈴の家」のほうが、彼にとって居心地がいいのです。

ちなみに、冬子の元の旦那の子どもは、男の子。男の子は母親を慕いますから、拓也にとっては邪魔な存在だったに違いありません。小雪が生まれてからは、その男の子にとっては、守らなければいけない女性が母と妹の2人になりました。

市川崑監督 病院坂の首縊りの家 冬子風鈴 男の子が幼くして、二人の女性を守らなくてはいけないとなると、少しでもはやく成長して一人前の男になろうとするでしょう。その時に拓也は、その子に猛蔵の影を見たことでしょう。自分とは違う、男らしい男の影を。

拓也は、太平洋戦争で帰らぬ人となりました。拓也が死ぬ瞬間に思ったことは、自分の2人の娘、由香里と小雪のことかも知れません。

猛蔵のおかげで、拓也は棚ぼた式に法眼家を手に入れたのです。何の苦労もなく手に入ったものに執着があったとは思いません。

愛人の子どもである自分の生い立ちも、自分が弱い男であることも、嫌というほど分かっているので、拓也の自尊心は最初からズタボロでしょう。自分が唯一、男としてのパワーを感じるであろう「風鈴の家」でさえ、拓也は猛蔵の存在を嫌というほど感じていたはずです。

拓也はそれを忌まわしいと思っていたでしょうか。

違います。

弱い男は、強い男への抗いがたい憧憬があるのです。雄として、はなから勝てない完璧な男性像として、心理下では猛蔵を慕っていたはずです。その息のかかった女性達とセックスすることに、不思議な一体感を持ったことでしょう。男としては、それを到底受け入れられないため、拓也はますます無関心を装うでしょう。

こんな男を愛した冬子がかわいそうでなりません。愛しても愛しても、どこか心はうつろで、自分が心から愛されているという実感も乏しかったことでしょう。

千鶴は最後まで猛蔵と結婚したことを悔やんで、私が悪かったと娘に言い続けていましたが、猛蔵とのセックスは、忘れられなかったはずです。存在も強烈でしたが、忘れられない男とは、こういう男でしょう。実は、憎むほどに愛していたのかも知れません・・・。

市川崑監督 病院坂の首縊りの家 風鈴の句 そんな中で、和歌の一つでも作りたくなるのは、拓也の何もかもが3流の証しでしょう。しかし、金田一は、なんと、そんな拓也の和歌から、風鈴の謎を解くのです!

ということは、金田一は強烈な存在感のある強い男の猛蔵と、その影を背負って翻弄され、無関心という仮面を被った弱い男の拓也の、2人の関係性を見抜いていたということです。

市川崑の描く金田一耕助の素晴らしいところは、こういう人間模様の辛酸を、彼自身が身を持って体験しており、さらに、善でも悪でもない、どうしようもないことなんだ・・・と受け止める、深い人間愛が、悲しみと共に表現されることです。

そして、ここにSozoは、このストーリーの一番暗い部分を感じます。

こんな、面白くも複雑な話を、市川崑は見事なリリシズムで描いています。最も見事なのは、金田一が風鈴の謎解きのために南部へ行く場面です。

市川崑監督 病院坂の首縊りの家 南部旅 岩手県の水沢、北上・・・と、南部風鈴を求めて彷徨する金田一の姿は、まるで自分の生い立ちを遡る旅のようです。

この場面は、まだ映画の中盤ですが、既に金田一は犯人が誰か分かっており、旅の目的は、なぜ冬子は法眼家で首を縊って自殺をしたのか、その理由を探すことでした。

このストーリーの主要な人物はほとんど全員が、幼くして家庭が崩壊した不幸な生い立ちを背負って生まれて来ました。何と皮肉なことに、両親揃った家庭で普通に育ったのは、猛蔵だけだったのかもしれません。

市川崑監督 病院坂の首縊りの家 南部行き前夜 南部へ旅立つ前日、金田一と助手の日夏黙太郎 – 草刈正雄が、瓦葺屋根の連なる街並みを、夕暮れ時、散歩するシーンがあります。

二人は自分たちの、孤児だった生い立ちを語ります。

ノスタルジーとは、彼ら全員にとって、辛い過去の辛酸をなめることなのです。だからこそ、そこから始まる、暗いトーンの南部の映像は、泣きたくなるほど美しいのです。

「冬子が待っている・・・」

今となっては、この映画自体がノスタルジーになってしまいました。

「Finding昭和」とは、Sozoにとって、悲しくも美しいこの映画に象徴されている気がしています。ノスタルジーとは、甘い香りのする、死に至る毒薬でしょうか。

すでに観た方も、まだ観ていない方も、ぜひ、ご覧くださいね。

※画像はすべて、「病院坂の首縊りの家©1979東宝株式会社」よりの一場面です。

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コメント

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    Amazonプライムで見て、映画だけでは相関がさっぱり分からず
    ここにたどり着きました。
    非常に分かりやすく、すっきりしました。
    ありがとうございました。

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