つい最近、沖縄の方と知り合う機会があり、はるか昔、沖縄に行ったことを思い出しました。40年近く前です。
俺の中学は有名な不良学校で、しょっちゅう警察が来ていました。
当時は、1学年に10クラスもありましたが、3年のクラス編成では、悪ガキ・オールスターズのクラスを2クラス作ってました。不良を2クラスにまとめて、コントロールしようという魂胆です。
担任は、えええええ?この人が教師???どこの組のかたですか?と、いう感じで、校舎も違う棟にありました。もう、隔離です。
俺はそのクラスに転校したのです。3年10組に。
俺は、ワルではないです。なぜ、このクラスに入れられたかというと、なんと、その組員みたいな担任が、親父の友人だったのです。
「おう、俺くんの親父。おめえの息子、わしが、面倒見るけえの、安心せえや」
物凄く迷惑な話です。安心とは、ほど遠い日々が始まりました。
ワルって、やたら成長が早い気がします。
ほとんどの野郎がもう声変わりも終り、妙に大人っぽくなってる中、俺はまだ少年の声でした。高校まで。
クラスメイトから、完全に子どもだと舐められていた俺ですが、出来るだけおとなしく、何事もなく過ごそうと、薄氷の上を歩いていたのです。
ところが俺は成績がよかったんです。それが致命的でした。
最初の学力テストでいきなり学年トップでした。いたるところに貼りだしてあるんです。それで、一気に目立ってしまった。
凄いバッシングが始まりました。いじめとは違うんですが、バッシングです。誰も口をきいてくれないし、居心地の悪いこと、この上なかった。
あるとき、音楽の授業中に、クソBBAな先生へのあつてけで、不良たちが、当時はやっていた「電線マン音頭」っていう、バカな歌を歌い始めたんです。
俺もその先生は嫌だったのと、実は、電線マン音頭が大好きだったので、自分でも本当にびっくりしたんですが、おもむろに教室の前に出て、不良たちの電線マン音頭に合わせて、踊り始めたんです。
振付があったんですヨ。
びっくりしたのは、俺だけじゃなく、そこにいた全員でした。成績優秀、お坊ちゃまみたいな転校生が、いきなりですから。
俺は、今も昔も、意図せずに人を驚かせる天然なところがあるのです。
そして、一気に人気者になり、2学期からは学級委員に選ばれてしまいました。
あるとき、学級会の議題を準備していなくて、白紙の頭で会議を始めるとき、
そうだ!今日の議題「みんなのバカを直そう!」
と、すごい発言をしてしまった。
あれ?まずかった?と思ったんだけど、みんな、バカだという自覚があったのか、「上等じゃねえか、お前がやれ」と、言われてしまった。
それからというもの、放課後や休日とか、時には夜中にまで、不良相手に勉強を教えるはめになってしまった。
そいつらがレコードを持ってきて、俺んちで一緒に歌った曲。
「沖縄ベイ・ブルース」 歌:ダウンタウンブギウギバンド
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
お前となら もう一度
苦労してもいいって
あの人が言った
約束はとうに過ぎて、影ばかり震えてるの
今すぐ旅立てるよう、手荷物は、まとめてあるわ
バスローブ羽織る前の、ささやきを信じたのは
逞しい腕の中で、海、越える夢をみたから
聞き違いなの? 教えてよ
待ちぼうけ残して・・・青い鳥が逃げた
沖縄ベイ・ブルース 揺れる珊瑚礁
約束はオウム返し
唇に乗せてみるの
窓からの月の光、心の壁、突き抜けるよう
勘違いなの? 教えてよ
忘れた顔をして・・・青い鳥が逃げた
沖縄ベイ・ブルース 燃える珊瑚礁
これは名曲ですよ。是非、探して聞いてください。
その時は、さすが不良はカッコいいと思ったのですが、後からよくよく歌詞を考えると、これは女性の歌で、歌の中の相手の男は海兵隊かも知れないと理解したとき、思春期まっただ中の俺は、対象の分からない憧れに、胸がきゅんとなったのでした。
その憧れは、沖縄への憧れに変わりました。
同じく1977年、女優の十朱幸代が、突然、夜のヒットスタジオで歌を歌いました。セイタカアワダチ草という歌です。ご存じでしょうか?これは探すのが大変でした。
セイタカアワダチ草
作詞:吉岡治 作曲:岸本健介 歌:十朱幸代
誰かとどこかへ 折合いつけて
ポプ・コーンみたいに はじけたか
それともくらしに 見切りをつけて
帰っていったか ふるさとへ
それはないじゃない?
あいつに惚れて あずけた夢を
わかってくれとは 言わないが
あたしにゃ沖縄 遠すぎる
あたしにゃ沖縄 遠すぎる
コバルト・ブルーの あいつの街に
燃えるか セイタカアワダチ草
手紙のひとつも 出したいけれど
基地(ベース)の区別も つきゃしない
それはないじゃない
あいつに尽し 疲れた夢を
わかってくれとは 言わないが
あたしにゃ沖縄 遠すぎる
あたしにゃ沖縄 遠すぎる
こっちは、もっと直接的です。はっきり、米国軍人に捨てられた女の歌だと分かります。
十朱幸代は、その頃すでに大女優でした。他の女優とは違う独特の大物感がありました。今も同じですね。
なぜに、突然こんな歌をうたったのか、さっぱりわからないのみならず、彼女が普段演じていた、リッチで、美しく、貞淑な悲劇のヒロイン像とは、全くそぐわない、自分のことを「あたしにゃ・・・」という女。(そんな人いますかね?)
歌い方も、妙にさばさばしてて、とっても違和感がありました。
とはいえ、すごくいい歌です。
今聴くと、相手がGIだろうが、ど
うでもよく、一箇所にとどまることのできない男に惚れた女性の、報われない恋心に、くすぐられるものがあります。
なぜか不幸を選んでしまう女性を、どうにかしてあげたくなる気持ちと、そのような女のもとを去ってみたい自分が同時にいるのです。
沖縄への憧れは、どんどん育ち、穴を掘ったり、壁を塗ったりする電気屋のアルバイトで稼ぎ、高校に入った夏休みに、沖縄へ行きました。
10日間くらいの旅行でした。親もよく許してくれたものです。電車~プロペラ機~船と乗り継いで、3日かかりました。
でも、当時から今まで、片時も忘れたことがない鮮烈な記憶があります。
それは、名前も知らない兄さんの顔と沖縄の空です。
どういう経緯か忘れてしまいましたが、どこかで出会った知らない兄さんのバイクに乗せてもらい、さとうきび畑を駆け抜けました。
丘の上に射撃場のようなバーがあって、海が見えました。兄さんと一緒にビールを飲みました。
その後、まったく粗忽な俺らしく、海でざっくり怪我をして、泳ぐのをあきらめて砂浜に寝ころがり見た夕空。
そのまま砂浜で眠ってしまって、ふと目覚めて見た、信じられない満天の星。
俺の沖縄への憧れは、セイタカアワダチ草でも、沖縄ベイブルースでもなく、旅をするという、大人の男になるための通過儀式だったのです。
今でも、沖縄には、あの空があるのでしょうか。
俺は、憧れた大人の男になれたでしょうか。
その兄さんは、俺のことを覚えているでしょうか。
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十朱幸代が歌を歌っていたのも初めて知りましたが、Sozoさんの子どものころの話も初めて伺ったような気がします。
沖縄は今でこそ日本の観光リゾート都市というイメージが定着しましたが、「沖縄ベイ・ブルース」の頃はまだまだアメリカな感じでしたよね。
なつかし~!!
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>JUICYPOPさん
コメントありがとうございます。読んで下さる方がいて、励みになってます。懐古趣味と言われようがこの路線で行きますw
沖縄へは行かれたことがありますか?今は癒しと音楽の発信地みたくなっていますが、その頃は南沙織でしたネww