「目が覚めて何故かきしめんを茹でて食べてる(笑)」
ある時、人の寝ている時間に届いた、友人からのメッセージ。
声を出して笑ってしまった。なぜこの時間?なぜきしめん???
「そういや、きしめんというものを食べてねえなあ・・・」
これが俺の返信でした。
以来、頭にずーっと、きしめんが残ってて、蕎麦屋に行くと、このクソ暑いなか、なぜかきしめんを食べてしまいます。
人形町と神田まつやには、美味しいきしめんがあるのは知っているのですが、わざわざ食べに行くのもどうかなと躊躇してしまいます。
とりあえず、近所の蕎麦屋で食べました。写真は、西小山の更級
なぜ、きしめんが頭から離れないかというと、ここにも、ノスタルジーがあるからでした。
1980年、18歳で東京に出てきた俺は、日にちの数だけ映画を観ようと決めて、それを実践するほどの映画ファンでした。当時は、3本立ての名画座が沢山ありましたから、不可能ではなかったのです。当時はB6版?くらいだったちっちゃな「ぴあ」を買って、よく出かけたものです。
映画好きの行き着くところは、やはり天下の岩波ホールです。今でも、神保町にありますね。
超難解な映画もやっていましたが、いつでも満員!上映まで、階段にずーっと並んでなくてはいけなくて、一番すごかったのは、1985年公開の「ファニーとアレキサンデル」。
イングマル・ベルイマン監督の壮絶な映画です。救いがない。これを美しいと言ってはいけません。
しかも、上映時間がなんと、5時間!
それを観るために2時間は並んで、映画を観るとはこんなにも精根尽き果てるものかと、それに感動しました。
ということで、神保町には度々出掛けてました。
きしめんでしたね(笑)
御茶ノ水のニコライ堂の脇を下る道から、小川町に入って靖国通りに抜ける道に、きしめん屋があったのです。確か、カウンターだけの店で、とても不思議なたたずまいでした。目黒のとんきの1階のような感じというのかな・・・。そんなに広くはないですが。料理人がちゃんとしてしていて、不思議な格式があったような記憶があります。
でも、安いんです。立ち食いに毛が生えたくらい。
そこのきしめんは、美味かったなあ~!シンプルな澄んだかつおだしに、ピュアなイメージの純白なきしめん。
なんとなく、そこに行くと、妙に緊張して、「きしめん・・・」としか言えなかった。だから、メニューに何があったか、知らないのです。
実は、その時に初めてきしめんというものを食べたのです。九州出身の俺は、きしめんが店のメニューだとは思っていませんでした。
何も知らない俺は、出汁が関西風なのも含めて、神田って変なところだなあと、思っていましたが、東京のうどんに対して魅力を感じない九州出身の俺としては、きしめんって、九州のうどんとは、だーいぶ違うけれど、何かが近い食べ物として、ずいぶん通いました。
その後、実はかくれ鉄道ファンの俺は、帰省するときに、どうしても、名古屋発博多行きの寝台特急「金星」に乗ってみたくて、名古屋まで新幹線にのる金もないので、東京から電車を乗り継ぎ名古屋まで行きました。
明るいうちには名古屋についたと思います。でも、金星は名古屋を22時50分発。
なーんにもすることもなく、かといって、変に中途半端で、名古屋を探検してみようという気の利いた考えも浮かばず、駅のホームのきしめんを2度も食べてしまった・・・。
時間を持て余したのもあるんだけど、ここで初めて、やっと、きしめんというものは、名古屋の食い物だったんだ!と理解したのでした。
しかも美味しい!神田のきしめんとおんなじ!
その神田のきしめん屋も、なくなってしまった。渋い顔してきしめんを作っていたオヤジたち、そして似たような顔の客たち、どうしたかなあ・・・?
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ノスタルジーに浸って
いろいろブログめぐりをしていましたが
お茶の水にあった、きし麺屋さんは
もしかしたら、「紅梅庵」というところではなかったでしょうか?
私も、学生の頃、このあたりを部活帰りに立ち寄って
そこでは「しっぽく」や、きし麺でも「白」と「黒」ってのがあって、白だしと醤油だしの違いなんですが・・・
懐かしいです!!!
突然のコメント、失礼しました!!
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>サエサさん
あ・・・、何かが心で共鳴したような。そうだったかもしれません。好きだったんですよ。コメント、ありがとうございました!また、教えてください!
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お邪魔します!楽しく読ましていただきました!これからも仲良くしてくださいね!
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>朱祢 潤さん
ありがとうございます!