麺のこし

麺にコシがあるというのが、麺の美味しさを決める一つの価値観になっているのはなんでだろうと突然思いました。

 

というのも、実家のある北九州-下関辺りで食べるうどんにはコシなんてものはどこにもないからです。

これはこれで、めちゃ美味しい!行かないと食べれないのですが、知らない人に食べさせてあげたい。
下関うどんの老舗「桃太郎」の天ぷらうどん

博多のうどんもコシがありません。有名な「かろのうろん」もそうです。

伊勢うどんもそうですね。これにはきっと賛否両論でしょうが、あれも立派なうどんで、嫌いではないです。

 

かと思うと、うどんの代表選手である讃岐うどんはやはりコシがあって美味しいですよね。

 

その昔、30年以上も前ですが丸亀に遠い親戚を尋ねたときに、高松にあった古くて大きなうどん屋で食べた讃岐うどんの美味しかったこと!

 

最近になって、そこが超有名店だと知り、再訪しましたが、同じ感動は得られなかった。何かが違うんですよ。

 

実は味の記憶には絶対的な自信があるので、麺の味が違うことは間違いないですが、何でも昔がよかったというのはジジイの証拠なので言及するのは止めておきます。

 


博多ごぼう天うどん
讃岐うどんは、北九州-下関のうどんの倍の太さはありますから、なめらかな喉ごしとは別に、うどん自体に弾力性があります。

 

本当の讃岐うどんの食べ方では、茹でた後にすぐに提供するので、蕎麦のように水でしめません。つまり、うどんの表面は柔らかくてなめらかなのに、麺の中心には弾力性があるというのが本来の讃岐うどんの美味しさです。

 

この、「芯があるわけではないけど、麺の中心にある詰まった質感」、これこそが麺のコシだと思うのですが、本当の讃岐うどんを知らない人は、この、周りはプヨプヨ中はしっかりという讃岐うどん本来のコシを、麺そのものが堅いことだと大きく勘違いしている気がします。

 

では、一般に麺のコシとは何でしょう?

 

広辞苑で「こし」という言葉を調べると、5番目の意味で

容易に折れたりしないで、元の状態を保とうとする力。練り上げたもののねばり、板・棒などの弾力、糸・布・紙のハリなどをいう。靭(じん)性

と書いてあります。

これでは麺のコシを語るには不十分です。

北九州市小倉の肉うどん

というか、麺のコシの定義そのものが、人の感覚に左右される非常に曖昧なものなんですね。


スパゲティはアルデンテに茹でると言いますが、以前、イタリアで生活した時に、日本のスパゲティがいかに堅いかを思い知りました。

 

一度、現地の友達たちとローマのレストランに行ったとき、出てきたスパゲティの麺が堅いと、全員が店に突き返したことがあります。

 

実は俺的には日本で食べていたスパゲティの堅さで、逆に美味しいとさえ思ったので、俺はこれでいいやと言ったのですが、俺の意見は通らず、地元っこたちは頑として突き返しました。

 

すごく面白かったので、成り行きを見ていましたが、改めて出てきた麺は本当の讃岐うどん的なコシがありました。つまり、外は柔らかでぷよぷよ、中は弾力性がある麺が出てきて、最初に出されたものとは麺の味まで違い、みんながクレームを付けたことに納得したのでした。

 

後の経験から、いわゆる日本で出されるアルデンテくらいの状態まで茹でて火を止め、そのまま湯の中で余熱を使って蒸らすとこのような麺の状態になることが分かりました。この、最後の蒸らしのちょっとの手間を、その店の茹で方(料理人)が省略したのでしょうか。

 

日本で一般に言われている麺のコシの図式とは

 

コシがある麺が優れている=コシとは弾力性である=麺は堅く茹でるのが美味しい(通である)

 

ということです。

 

さっき麺のコシの定義は感覚に左右されると言いましたから、人の感覚(好み)を否定するつもりはありませんが、堅い麺=美味しいと思い込んで、麺を堅く茹でている人は、そうじゃないものを否定してはいけません!

 

というか、本当の讃岐うどんも本当のスパゲティも、日本で一般に出されているほどに堅くはないということです。

 

好みは否定しませんが、もし料理人ならば、翻訳されたものしか知らないのは、プロとして恥ずかしいですね。


下関市の徳仙茶屋の天ぷらうどん

さて、その好みですが、なぜ堅い麺が好みになったのでしょう?

 

これに関して、以前読んだ某大学の麺の歴史に関する論文に興味深いものがありました。

 

それは、江戸と上方の麺の食文化の違いで、上方の麺は熱い出汁に麺を入れたものだったのに対して、江戸は生水(なまみず)が安全で、しかもふんだんに使えたために、麺を茹でた後、冷水で締めて、冷たい麺を濃いツユにつけたり、ぶっかけにして提供することができたということです。

 

そのため江戸ではうどんよりも蕎麦が好まれたということなのです。

 

蕎麦に関していうと、やはり堅く締まっていないと蕎麦の美味しさは半減しますよね。少なくとも東京で蕎麦屋の看板を揚げているところで、茹ですぎや茹でて時間の経った蕎麦を提供したら、すぐに潰れてしまうでしょう。

 

つまり、麺を堅く茹でて、それをコシといって重宝するのは、東京人の好みだということなのでしょう。

博多のラーメンはもはや全国区ですが、東京の方はよくバリカタとかことによるとハリガネとかの堅めで注文していますよね。

 

博多でもそのように注文するところもありますが、俺が子どもの頃はそのような確固たる注文方法があったわけではなく、博多ラーメンは麺が細く、茹ですぎは致命的に不味くなるので、そもそもが堅いものです。

 

俺は東京にある博多ラーメンは博多風ラーメンだと思っています。

こんなことを言うと怒られそうですが、地元で育った人は同意してくれるかもしれない。東京の博多ラーメンも美味しくて普通に好きですけどね、まず匂いが違います。

 

そういえば、讃岐うどんも昔は匂いが違いました。

 

また昔は・・・が始まったので、この辺で止めておきましょう。

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